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結婚・婚活用語辞典

エホバの証人さんへ私は現在中学3年生です。 本来なら家族やクリスチャンの司会者さんに相談す …

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2009年08月21日 Q.質問
エホバの証人さんへ私は現在中学3年生です。 本来なら家族やクリスチャンの司会者さんに相談すべき内容だと思うのですが、流石に恥ずかしくなったためこの場を借りて相談させていただきます。 中学に上がると同時に学び始めたのですが、最近はなぜだかエホバへの信仰心が弱まっていると感じるのです。 学び始めたばかりの頃は、聖書に書かれたエホバの教えに感動させられてばかりだったのですが、今では読んでも「確かに。」等納得はしても心にグッとくるような感じ方ができません。 正直、エホバの存在をも疑うようになってしまいました。 けれど、「いない」とは絶対に言い切れないのです。 分かりづらいとは思いますが、「どこかに、いる?のか?」の様な感じです。 内心、エホバから離れた自分を見たくないです。 離れたら終わりだと思っています。悪い者へと染まってしまうと思うと恐ろしいです。 ものみの塔や目覚めよ!などの出版物を読んでいると、エホバに祈り求めることが一番良い手段だと書いてありました。 ですが、祈っても祈っても自分の信仰心が弱っているために、エホバには届いていないのではないのだろうかと不安になります。 例え不安や疑いを持ったとしても、エホバへ助けを求めるのが一番の方法ですか。 この様な思いを抱いてしまっても、上手く切り抜け、エホバやイエスから見て羊の様な存在になれるのでしょうか。 アドバイスや慰めをもらえると嬉しいです。 長文失礼しました。

 

2009年08月28日 A.回答
状況の全てを知ることができないので的外れなことを書くかもしれませんが、わたしが思うことを書きますね。 基本的な情報を一通り学ぶと、集会でも聖書の手引き書の出版物でもおおよそ同じことを繰り返し見聞きすることになるので、初めて知った時のように感じないのはごく普通のことで、取り立てて変ではないと思います。わたしもそうでした。(もうこれ知ってる…同じことばっかりだな…つまんないな…などと思ったのを思い出しました。) それから、その気持ちを親や長老、あるいは他の話しやすい誰かに話すのは、全く恥ずかしいことではないと思います。むしろ相談された側は嬉しく思うのではないでしょうか?(とは言っても話すのに勇気が要るのはよく解ります。) ただ、親(又は他の誰にせよ)によってはびっくりしてうろたえる人もいますから、わたしはそのような場合には、「出来るなら第一希望としては、相手がうろたえないようにして頂けませんか」「でももし相手がうろたえたり思わぬ反応をしても、落ち着いて対処出来ますように」と、エホバに支えを祈り求めてから取りかかります。 個々の人間がヨハネ17:3にあるように神と神の大切なみ子について深い意味で知り確信を持つことは、テモテ(一)2:4にあるように神のご意志です。そして、ヨハネ(一)5:14~15にあるように、ご意志にそった祈りなら必ず聞いてくださいます。ローマ8:26、27もあります。 箴言2章やマタイ7:7にあるような「祈りに沿った出来る範囲の努力の継続」を諦めないのは、神が人に望まれる「各人が負うべき荷」です。これは誰かに代わりにしてもらうわけにはいかないので、各々が面倒でも取り組む必要があります。 わたしは伝道11:9~12:1をよく考えました。(9節の後半には、但し書きがついていますよね。) エホバは幸福な神(テモテ第一1:11)であると聖書を通してご自分についてわたしたちに教えてくださっています。 ときに、自分の「今の」感情的に、欲求的に、考え的に、エホバに従うのが最善と思えなかったり、自分の人生観やしあわせ感には全くそぐわず不幸とすら思えることも随分沢山ありました。 でも、「幸福な神」や「神は愛」(ヨハネ第一4:8)などの聖句を考えると、その神が「それが良い」と明示されるからには、今の自分にはつらく感じてもちゃんと言われるだけの意味があるのだろう と考えました。そして、アブラハムがイサクを手にかける直前の信仰にならってすべてをエホバに転がして生きてきて何年も何年も経過し、本当に良かったとしみじみ思います。すぐには結果が判らないこともありますしね。 人間には先の先まで見えませんが神は人間の最善の益となること(あるいは害を及ぼすこと)を小さな分岐点の時点からご存知です。 その益は一時的なものではなく永続する種類のものですしね。神の知恵は本当に人知を遥かに超えて計り知れなく偉大だなぁ…と、時が沢山沢山沢山…経つとはっきり判るようになりました。これは自分の道全てにおいて神を認めないなら決して体験出来ない驚くべき発見と祝福だと思います。(たとえある程度長生きして寿命を全う出来たとしても人間の一生は短く神の時間の感覚とはかなり違うので、理解が及ばないのは当たり前なんでしょうね。) 祈り続けることに加えて色々調べたりもすでにしておられるのかもしれませんね。出来るなら引き続諦めないで欲しいと思います。 (わたしは信仰を強めたいときは、聖書が神の言葉である理由についての調査と、創造物に確認出来る畏怖の念を起こさせる知恵についての二点、一度納得した事柄であっても繰り返し考えました。わたしにはそれがぴったりでしたので。)
 
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