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日蓮正宗の奴らが躍起になって創価攻撃をしているが。 そんなことより、お前達の宗門の謗法の …

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2008年06月20日 Q.質問
日蓮正宗の奴らが躍起になって創価攻撃をしているが。 そんなことより、お前達の宗門の謗法の歴史を勉強しろ、と言っておくぞ。 今の日顕宗に成り果てた姿を肯定しても無駄なことは歴史が証明している! ウソはやめろ! 宗祖、開祖、三祖が禁じている貫首の妻帯、神札容授で総退転、 日蓮大聖人の仏法に違背していることは明白だ。 いまさらじたばたした所で歴史は変えられないんだよ! 今まで日顕宗がやってきたことも後世の謗法の歴史の 一番最初に記載されることは確実だ。 また御書を改ざんして正当化するか! とりあえず謗法の学習の手始めに、 1、日蓮正宗で一番初めに妻帯(女犯)した貫首を教えてくれ! 2、それと最後の聖僧(独身、無女犯)が誰かも調べて教えてくれ! ウサギでも、とんだ門下のどっちでもいいけど。 3、ついでに宗門人の妻帯率も教えてもらおうか! 4、最後の国家諌暁も有るな!

 

2008年06月21日 A.回答
まずは、「創価学会側の主張」です。 ●日蓮大聖人、また日興上人、日目上人、日道上人、日有上人、日寛上人・・・など上代の猊下も妻帯していない。 御書には、「世末になりて候へば妻子を帯して候・比丘も人の帰依をうけ魚鳥を服する僧もさてこそ候か、日蓮はさせる妻子をも 帯せず魚鳥をも服せず」(四恩抄)とある。 依って、明治五(一八七二)年四月二十五日、太政官布告第一三三号が出された時まで、日蓮正宗の僧侶で誰が妻帯をし ていたのか? 大聖人誕生1222年から1872年までの650年間、日蓮正宗の法主で誰が妻帯したのか? 従って、僧侶が妻帯することは法謗である。 というのが、僧侶の妻帯に対する創価学会側の批判根拠となっているようですが、よろしいでしょうか? また、この批判の更なる根拠となっている御書文として、【最蓮房御返事「祈祷経送状」】を挙げられ、 『一、御状に十七出家の後は妻子を帯せず肉を食せず等云云。』 を以て、文証として「僧侶の妻帯は謗法である」と決定されています。 しかし、ここが「策士策に溺れる」の典型であり、その御文の全文をしっかりと眼を開いて読めば真実が分ってきます。 後に続く御文とは、 『権教を信ぜし大謗法の時の事は、何なる持戒の行人と申し候とも、法華経に背く謗法罪の故に、正法の破戒の大俗よりも百 千万倍劣り候なり。 彼の謗法の比丘は持戒なりと雖も無間に堕す。正法の大俗は破戒なりと雖も成仏疑ひ無き故なり。』 と仰せになられており、要約すると 「17歳で出家し、妻子を持たず、肉を食べずといって戒律を保ったとしても権教(法華経以外の経典)を信じているならば法謗の 罪ゆえに法華経を信ずる人間よりも百千万倍劣るのである。これらの法謗の僧侶は自戒といえども地獄に堕す。正法を保つもの は戒律を破ったとしても成仏は疑いない」 となります。この点は、どう解釈されているのでしょうか? この回答が、貴方のこの質問の全てに対する回答です。話を逸らしている訳でもなく、この点が解決されれば1から4の質問自体 が無意味となります。 4については、まず、貴方(創価学会)の歴史を遡ること、初代会長牧口氏、二代会長戸田氏の当時の行動・発言を持っての 事とも思われますが、昭和26年の『大白蓮華』(上・下)に発表された内容を把握されるのが先決でしょう。特に、創価学会は 初代牧口氏の発言や行動を、そのまま戸田氏が継承、そして第三代池田氏に脈々と受け継がれているとの前提と推察した上で 、上下の「下」を熟読されたら良いでしょう。 宗門の顕著な例としては、明治5年に日蓮宗全体が一宗として、一人の管長の下に統括するよう命じられた「法令」が出され、 更に大正3年に再び日蓮宗各派本山との統合問題が起きたのはご存知と思います。 この時、当時の御当代日正上人はこれを良い契機と捉えられ、日蓮門下を日蓮正宗に帰一させようと考えられ、統合に関する 講習会で各教団の代表に対して「日蓮本仏論」を講演されたのであります。 その講演の中で日正上人は、 『統合という意味の上に寄った時には、必ず宗祖の本意に随うのが精神である。宗祖の誠意というものは何だ、宗祖は外に何も 望まない。私が言わないでも聴講生は大抵知っているでしょう。この「一閻浮提の本尊を日本国に建てる」というのが宗祖の本意 である』 と仰せであります。 これも「法令」の下にあって、一宗派の御上人が公の口上として発言されたこと自体、既に「当時に於ける」国家諌暁の姿であっ たとも言えると考えます。また、「国家諌暁」とは、一体誰に対してするものなのか、又その人物の立場地位とは如何なるものなの か。との視点で考察した時、当然の如く「国家を司る一人」であり、鎌倉当時であれば幕府執権であり、又戦前戦中で言えば、 「大日本帝国=天皇」であります。さらに、民主主義国家となった今、総理大臣を筆頭に政府役人は多数おり、また天皇家も 存続してはいます。しかし、主権はあくまでも「国民の手」にあります。日本国憲法の三大原則の一つであります。 ということは、天皇家、又は時の総理大臣を折伏することにより、大聖人当時の「国家諌暁」が成し遂げられるとするのは、時世 に合わずと考えますが。民主主義国家であり、法治国家である以上、主権を持つ国民一人一人に大聖人仏法を下種折伏して いくことこそ、近代社会に於ける「民主(国家)諌暁」の在り方だとは思われませんか。 ◆補足に対して; 今も昔も総じて話をしていますが、何か?また、ご指摘の「立正大師」については、そう来ると思い記載しようとしましたが、文字数 がたりなくなったので、あえて削除しました。でも、どっちにしても、どんどん話が飛躍して、摩り替わっていく様は、以前と変わらない ようですね。よって、埒が明かないと言っております。
 
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